●急に「友だち」が増える時期
京都大学の「コミュニケーションデザイン」という授業にゲスト講師として呼ばれたとき、「友情」をテーマに哲学対話という形式のワークショップを実施したことがある。ちょうど受講生が1回生ばかりで、実施したのが7月だったため、まもなく期末が近づこうとしている時期だった。まもなく期末レポートや期末試験があるため、LINEやInstagramでつながっているだけの人が「久しぶり! 私たちって、友だちだよね?」と急に親しげに連絡を入れてきて、期末試験の過去問を手に入れようとしたり、これまでの講義ノートを見せてもらおうとしてくる人が出てくるのだ。大学の期末は特殊な時期だと言えるかもしれない。
●大学の「過去問」文化
大学入学のために、赤本などの過去問を研究したという人は多いに違いない。大学院入学を検討している人もまた、大学窓口などを介して大学院試験の過去問を手に入れたりするかもしれない。ただ、大学生活で最もよく目にする「過去問」は、おそらく定期試験のものだろう。単位取得につながる期末や中間などの試験には多くの人が関心を向けているようで、Yahoo!知恵袋には、大学定期試験やレポートについての質問が多数出てくる。「大学の定期試験の過去問を入手するにはどうすればいいですか」というタイプの質問から、「過去問を売るにはどうすればいいか」という質問まで。
非公式な形で、定期試験の過去問の回覧自体は広く行われている。サークルの先輩後輩間で融通し合ったり、同じ授業を受けている人が手に入った情報や過去問をシェアし合ったりするのはよくあることだろう。ちなみに、21世紀初め頃までは、「マスプロ教育」(工業製品の大量生産に喩えた表現)の時期など、総合大学周辺の学生街には、過去問や講義ノートを手心な価格で販売している場所もあったという。私が大学に入るころには一掃されていたので、「そういうのがあったらしいよ」と話で聞いただけだが。
いずれにせよ、試験問題も「著作」であり、著作権侵害に該当する可能性があるため、過去問の取り扱いには十分注意してほしい。
●何のための過去問? 何のための単位?
試験やレポートを作成する側の目線でも少し書いておこう。教員側も過去問が出回っている可能性を常に考慮しているため、試験やレポートの論題は絶えず手直されており、工夫も凝らされている。『学生を思考にいざなうレポート課題』(ひつじ書房)という課題の出し方や表現についての工夫だけで1冊書かれているほどだ。
そもそも試験やレポートは、授業の目標(ゴール)ではない。テストやレポートは、講義を聞いてわかった気にならずにいるために、自分の苦手と得意の分布を把握する機会として、あるいは、そのために改めて勉強·調査し直す機会として設定されている。期末課題は、「手段」でしかない。できないことができるようになったり、知らないことを知るために授業を受けているのであって、単位取得をするために大学に来ているわけではないはずだ。
過去問を手に入れ、それを解くことも、点数を取るためのものであってはならない。過去問による対策は、そもそも論から言うと、何かを学び、それを自分の成長へとつなげるためにやっていることだ。しかしながら、人間は手段を目的と取り違えやすい生き物でもある。過去問や単位取得に夢中になり始めたとき、少しこのことを思い出してほしい。
References
成瀬尚志編 (2016). 学生を思考にいざなうレポート課題. ひつじ書房.
ジョン·ハッティ, グレゴリー·イェーツ (2020). 教育効果を可視化する学習科学. 北大路書房.
〈この記事を書いた人〉
谷川嘉浩
京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。著書に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマ―新書)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)など。大学院に行くつもりも、哲学者になるつもりもなかったが、気づけば研究者の道を歩いていた。