●キラキラした文字の羅列
「◯◯大学では20XX年度から◯◯学部を新設します。最先端の◯◯学の知見に基づいてイノベーションを創出できる人材の輩出を目指します」――ネットや公共交通機関でこんな広告を見かけたことはないだろうか。「◯◯」に入る単語ははさまざまだが、「情報」「国際」「環境」「社会」といった大まかな学問領域を表す言葉に、「グローバル」「デジタル」「デザイン」「イノベーション」などといった瀟洒なカタカナ語や、「共創」「創域」「創生」などといった造語がくっつく、というのがよくあるパターンだ。
●窮地に立つ大学
一見すると華やかで前向きに見えるこうした広告の背後には、厳しい経営状況のなかで生き残りの手段を模索する大学の華やかとも前向きとも言えない泥臭いあがきがある。少子高齢化によって大学入学者数が年々減少していくなか、各大学は入学者を確保するのに必死だ。とりわけ地方の中小私立大学が置かれた状況は厳しく、2023年には入学者が定員割れした私立大学が初めて5割を超えたことがニュースになった。
では、私立大学と比べて国立大学は大丈夫かと言えばそんなことはない。かつて国の機関だった国立大学は2004年に法人化され、「国立大学法人」となった。それ以来、国から支給される大学経営の中心的な予算 (運営費交付金) は継続的に減額され、国立大学の財政基盤は大きく弱体化している。その結果、人件費も削減を余儀なくされ、定年退職した教員の後任が補充されなかったり、任期付き教員や非常勤講師などの不安定な雇用でしか欠員補充ができなかったりしている。
●競争的資金という名の「毒まんじゅう」?
安定的な予算が年々削減されていく一方で、国立大学には「競争的資金」と呼ばれる予算がある。これは企業からの寄附金や国から配分される特別経費のことで、このような資金を獲得するために、国立大学は産業界や国から陰に陽に突きつけられるさまざまな要求に応えようと奔走している。国立大学が次々と新しい (新しく見える)「改革」プランを打ち出し、組織の改組などを繰り返すのはこのためだ。
しかし、こうした改組プランを練る業務には多大な時間と労力が費やされる。そのせいで、大学の本来の業務であるはずの教育・研究に取り組むリソースが奪われているのだが、大学は予算を確保するために競争的資金を得る努力を続けざるをえない。競争的資金は大学にとっていわば「毒まんじゅう」なのだが、空腹にあえぐ大学は毒とわかっていてもそれを口にせざるを得ないのである。
References
吉見俊哉 (2016). 「文系学部廃止」の衝撃. 集英社.
佐藤郁哉 (2019). 大学改革の迷走. 筑摩書房.
〈この記事を書いた人〉
佐野泰之
高知大学人文社会科学部講師。専門は西洋哲学。主な著書に『身体の黒魔術、言語の白魔術――メルロ゠ポンティにおける言語と実存』など。