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104)チルしたい

●「チルする」ってなんだろう

自分を癒したいとき、もしくは癒されたいと感じたとき、どんなことを思い浮かべますか。いろんな選択肢があると思いますが、それらは大別すると、癒しになりそうなアクティビティをどんどんやろうとする積極的、能動的な方向と、体や心を休めるようにアクティビティを少なくしようとする方向の2つに分けられるように思います。


私自身は後者の方向から考えることが苦手です。自分の調子を整えるために何とかしようとしても、結局あれこれと予定を埋めてしまい、なかなか休息や落ち着いた時間を取れないままずるずる過ごしてしまうことが多いです。


日頃、インターネットやSNSを触っている生活をしていると、休みたい、だらだらしたいときにもついそちらをチェックしてしまいがちです。あふれる情報や、それにつきまとう他人のさまざまな感情にあてられて、結局疲れてしまう、ということもよくあります。また、放っておいても課題やアルバイト、サークルの仕事なんかに関する知らせもたくさん来ますし。



●「チル」を探すのにも、「チルする」精神を

単にゆったりしたい、「チルしたい」と考えていても、じゃあ何をしようとか、よし休むぞと思ったときに、そもそも私たちは周りにいっぱい情報があるという状況に既に投げ込まれているので、それでもう疲れてしまいますよね。


「チルする」という言葉や、それに類するさまざまなアクティビティ、または商品が世の中にはあふれています。みんな疲れているから、「それならこうしたらいいですよ」と教えてくれる情報を求めている。みんながそれを知りたいので、じゃあそれを使って商売をしようとか、人に何かを伝えようといった人がたくさん出てきて、情報があふれかえってしまう。


うーん、疲れちゃう。


「チルしたい」ならば、自分が安らいでいるという感覚が起こればなんだっていいのではないでしょうか。それがただ寝ることでも、何も予定を入れず過ごすことでも、音楽を聴いたりいい匂いがするお香を焚いたりすることでも。


もちろん、そういった、「それって「チルする」ことだよね」と挙げられるような、代表的なものでなくたって、自分自身の気持ちが安らげば、穏やかな気持ちになれれば、緊張がほぐれて肩の力を抜くことができれば、なんだっていいのです。私の感覚として、チルできていたらいいのですから。


情報があふれている今、まさに「私」の感覚にもっと耳を傾けて、自分に寄り添って「チルする」しかたを見つけていけると嬉しいですよね。



 

〈この記事を書いた人〉

下山千遥

京都大学人間・環境学研究科博士後期課程。専攻はドイツ近現代哲学、特にH. -G. ガダマーの解釈学と学問論。「理解するってどういうこと?」「学問のうちで何かを理解することとそのほかでの理解との違いは?」といったことが気になって研究しています。「チルする」ことはずっと苦手で、自分への課題です……苦笑。

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